何をやってるの?


商法・会社法の研究をやっています。商法に関する授業も持っています。

研究内容について

公表したものについては、こちらをご覧下さい。

1.研究対象について


 私の研究は、会社法を対象とするものです。もっとも、会社法のうち「特にこの問題を中心に」という具合に焦点を絞って進めているものではありません。利益相反取引についてみてみたり、買収防衛策について研究してみたり、と様々です。また、外国法をとりあげることもありますが、そうでないこともあります。いずれにせよ、研究対象は(法)ルール・制度の分析であれば何でもよいと思っているのですが、今のところ(広い意味での)会社法に止まっています*1。また、証券取引所による自主規制や官庁のガイドラインのように、「法」とはいえないけれども、法と同様に(あるいはまた違った形で)関係する者の行動に影響を与えているルールも研究対象になります。もっとも、対象が何であれ、何かオリジナルな(「変な」「おかしな」ではない)ことをいいたい、というのは共通しています。


2.研究の方向性や方法


 やや異なる観点から自分の研究を紹介します。私は、解釈論や「外国法から示唆を受けて」という「伝統的な」スタイルのものを書いたこともありますが、全く無関係なものも書いてます*2。私の論文のうち2つは、敵対的買収に関するルール形成を分析してみたものです。裁判例が形成してきたいわゆる「主要目的ルール」ってそもそも何なのか?、なんでこんな妙なものができたのだろう、という問いから始まり、そこに影響を与えたと思われる経産省・法務省の「指針」はどのようにして形成されたのか、などを扱っています。
 法学の研究には、法の内容を明らかにするという重要な目的があり、ここには(通常)規範的な議論が含まれます。私の検討したテーマに関していえば、敵対的な買収がしかけられている会社の経営者が、それに対抗するために友好的な者に新株発行(新株予約権の発行でも)をすることを現在の法ルールは認めているのだろうか、認めていると考えるべきだろうか、認めるべきだろうかということを扱うことになります。この背後の政策的な考慮には色々なものがありますが、私が検討したのは、「これまでの裁判例のルールは実は認めるとも認めないともあえて言っていなかった」「それは裁判所にとってはとても合理的な選択だった」「でも、それは変わった。それは裁判所が、置かれた状況が変わったことに合理的に反応した結果である」ということでした。
 と、このように、解釈論でも立法論でもなく、法ルールの規範的な望ましさについて全く触れず、どうしてある特定の(法)ルールが形成されたのかについて、ルール形成に関わった当事者の行動の分析ー当事者の合理的な行動の均衡として特定の法ルールが形成されたという視点ーを通じて論じています。法ルールの内容を明らかにするといっても異なる視点があるということを示したかったのが目的の一つですが、買収防衛策に関する規範的な議論の前提としてもこのような作業が必要だとも考えていました。それもあって、一応法学の論文だと考えて(言い張って?)ます
*3


ちなみに、新株発行に関する法ルールについてご存じの方向けの説明ですが、ごく簡単にまとめると、次のようなものです。


  1. 「主要目的ルール」は新株発行が不公正発行になるかどうかを新株発行の「主要な目的」で判断するものであるが、構造をみていくと、何を正当な目的、不当な目的と捉えるかで実質的な内容が決まる。が、そこは結構適当かつ曖昧に決めておけて、一貫した政策判断はしなくても一応現実の問題を処理できてしまう。かつての「主要目的ルール」は実際にそうだった。
  2. それは裁判所が合理的に行動したことでいわゆる形成されたものであるが、ニッポン放送事件以後、明らかに変容した。
  3. 変容した要因の1つは、企業価値研究会の報告とそれにもとづく「指針」である。
  4. それらは、関係したアクターが合理的に妥協したことで形成されたものであり、アメリカやイギリスのように主導権を握るアクターが明確ではない。ルールが不明確なところがたくさんあるのは、そのためである。



3.最近の研究


  • 会社法の政治学:これが本職(?)。2017〜2018年にいくつか論文を公開して一段落
  • 商法・会社法と倒産法や手続法が関係するネタ:難しいけれど、意外と面白い。ただ、自分の言うことにいつもよりさらに自信が持てない。


*1新しい対象に手を出すと勉強のための時間や手間・大変さという初期コストがかかるので、その大きさによって自ずと限定されます。商法学者とか、なんとか法学者と分かれているのが合理的なのは、これも含めたある種の分業だろうと思います。

*2念のため付け加えると、どちらの方が価値が高い、重要などといいたいわけではありません。

*3少し補足しておくと、これらを書いた時期には、敵対的買収について非常に多くの規範的な議論がなされていたのですが、他方で実はわが国の裁判例を網羅的に記述的に分析した研究が意外と少ないことに気づきました。そのような状況で、「『べき』、の前に『どうだったのか』、『今どうなのか』が先だろう」という考えがあって書いたわけです。つまり、規範的な議論が最終的には必要だとしても、その前に、まず、記述的な分析が必要なのではないかというスタンスでした。実際、「主要目的ルール」については、「資金調達目的vs支配権維持目的を比較してうんぬん」という、間違いでなければ相当ミスリーディングな「理解」があちこちにみられました。少なくともそういった中では、細かい記述的な分析だけでも法学の研究として十分成立すると考えています。その反面、私(あるいは法学の研究者一般)が、そのような状況で自分の規範的な主張を追加することにどのような意義があるのかは、簡単には分からないことだとも思っています(ただし、意義がまだよく分からない≠意義がない、です)。