法整備支援とその課題

大屋雄裕「法整備支援と日本の経験」より抜粋

法整備支援とはなにか

「法整備支援」とは、広義には、主に先進諸国が発展途上国に対して行なっている、法制度の整備に対する支援を意味する。「法制度の整備」には、たとえば特定の法律の起草から制定までの過程を支援するような立法支援もあれば、法制度を実際に運用していく人材(裁判官・検察官・弁護士といった狭義の法律家だけでなく、政府内の各省庁で立法作業や行政に携わる官僚や、NGOなど政府外で活躍する立場も含まれる)の養成を進めていくための支援、たとえば弁護士養成校の設立からカリキュラム策定、教材作成にわたる協力や、先進国側の高等教育機関への直接的な人材受け入れなどもあり、その内容は多岐にわたっている。また、対象となる発展途上国や支援実施側との関係もさまざまだが、主には次の二つのパターンが存在する。

第一に、支援対象国における全面的な体制転換により、政府とそれを成り立たせている法制度自体の「取り替え」が必要になった場合。1991年のソビエト連邦崩壊と冷戦終結に伴って、ソ連内の各共和国が独立して新政府を樹立したり、東欧などの周辺諸国が政治的な民主化を実現した事例が中心だが、同年のパリ和平協定で20年以上にわたる内戦に一応の終止符を打ち、国連の関与下で新たな正統政府を作ることへの合意が実現したカンボジアもここに含まれるだろう。この場合、新たな政府は不安定であるか統治を実施するための実力が不足しているケースも多く、UNTAC(国際連合カンボジア暫定統治機構;United Nations Transitional Authority in Cambodia)による平和構築が実施されたカンボジアや、現在アメリカ軍の駐留下で政府の再建が進められているアフガニスタンのように、(そもそもそういう事態に至ったのが誰の責任なのかという話はさておくとして)支援実施側による広汎な援助が必要になることもある。また、旧ソ連からロシアへの転換のように、従来の体制を支配していた価値観が放棄されるような場合もあり、新たな政府をどのような理念に基づいて構築するのかという点を含めた合意形成が迫られることもある。

一方第二は、典型的には中国やベトナムのように、従来の政府とその正統性が基本的に存続しつつ、計画経済から市場経済への移行といった(体制全体から見れば)部分的な変化が迫られる場合である。私的所有権制度の実質的な確立や、民商事に関する紛争処理制度の整備など大規模かつ急速な変化を実現するために先進国からの支援が求められつつ、体制の根本に関わる改革が拒絶されたり、一定の価値観に基づいて政策の選抜が行われる可能性が想定されるだろう。前者としてはたとえば複数政党制や言論・表現の自由に関わる問題、後者には社会主義国特有の「監督審」制度をめぐる問題などが挙げられる。(……)それらの支援において課題として意識されていた内容は、以下の二点に要約できるだろう。

法整備支援の課題

法制度の不足

第一に、法制度自体の不足。典型的には旧社会主義国において生産手段である土地がすべて国有(ないし社会的所有)と観念されていたために、土地の私有・利用・移転などに関する制度自体が十分に存在しない場合が想定される。このような状態を放置したのでは、たとえば海外の企業が工場建設のための投資を検討してもその所有権の保障に不安を感じて消極的になってしまうだろうから、十分な保護を実現できる制度の導入が必要だと考えられた。根本的な体制転換が起きなかったために「土地は国有」という前提を崩すことのできない中国・ベトナムなどにおいても、登録・移転・相続の可能な土地使用権を制度的に確立するなどの整備が急速に進められたことはよく知られている。(……)そもそも遊牧の伝統が深く、歴史的に土地を私有し・独占するという観念が非常に薄かったモンゴルや、クメール・ルージュ時代(1975〜79)の強制移住と長期に渡った内戦によって土地の所有・利用関係が大混乱をきたしたカンボジアなどでは、たとえ権利の移転に関する制度を確立したところでそもそも誰がどのような権利を持っているのかを公に表示し・確定させるための登記制度などが整っておらず、大きな問題となっている。紙の上に書かれた「法律」を現実に機能させるために必要となる制度的なインフラストラクチャをいかに整備するかという問題も、ここに含まれるだろう。

人材の不足

第二は、法制度を運用する人材自体の不足。特に社会主義体制においては裁判所という機関自体が社会的に重要なものだと考えられておらず、政府機構内で周縁化されていたと指摘されている。実際に中国では、除隊した軍人などが法的知識もなく、さらにひどい場合には字を読む能力すらない場合でも、転属して裁判官として勤務していたという。(……)

さらに極端な例としてはカンボジアを挙げることができる。同国の場合、大虐殺を引き起こしたクメール・ルージュ政権によっておそらく国民の1/3から1/5が直接的・間接的に死に追いやられたと推定されており、いまなお同国の人口分布に大きな影響を残している。なかでも、「知識人」と判定された人々が集中的に犠牲にされたことは、法制度の維持・運用に大きな障害を残した。正確な数字には諸説があるが、同政権下の足かけ4年を生き抜いたカンボジアの法律家は6人から、多くても10人程度とされており、要するにほぼ絶滅したと言ってよい。政権崩壊後にベトナムの実質的な支配下である程度の再建が行われるが十分とは言えず、法制度・制度的インフラストラクチャだけではなく人的資源自体が圧倒的に不足しているという状態が続いた。そこから選挙と民主政を通じて平和で安定した政権を作るというのが、UNTACと先進諸国の直面した課題であった。

大屋雄裕「法整備支援と日本の経験」松永・施・吉岡(編)『「知の加工学」事始め:受容し、加工し、発信する日本の技法』編集工房球・2011、pp. 192-208.




さらに知りたい人に

政府インターネットテレビ「法制度整備支援」
法務省法務総合研究所国際協力部

大屋雄裕「法整備支援と立法学の可能性」(法学部准教授)

専門的な書籍ですが、キャンパス・アジアの構想責任者でもある鮎京正訓教授の『法整備支援とは何か』(名古屋大学出版会・2011)も参考にしてください。